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なまもの、けものブログ

70%ニートが、なんてことないことをかくブログです。

子どもが父母どちらに似ているかなんて、どうでもいい(はず)でしょ

今日は11時くらいに起き、

男子ごはんを見ながら朝ごはんを食べ

sundaysongbookを聴きながら昼ご飯を食べ

モヤさまを見ながら晩ご飯を食べた。

 

なんてつまらなく幸せな日曜日だろうか。

 

そして今

おしゃれイズムをやっている。

 

ゲストは神田沙也加さん。

 

アナ雪旋風に乗り遅れてしまった僕なので

自分の部屋に戻ってきてしまった。

 

リビングで両親の会話が聞こえる。

 

母「喋り方とか、仕草とか、ほんと松田聖子そっくりだよね」

父「ふーん。でも顔違くないか?」

母「鼻、鼻は松田聖子だよね。口も、松田聖子。目が神田正輝なのかなー」

父「目が違うから違ってみえるのか」

母「輪郭は完全に神田正輝。」

父「けっこうがっしりした輪郭だもんなこの子」

 

なにをそんなに顔を細かく確認しているのか。

 

 

神田沙也加さんは、生まれたときから世間の注目の的。

なにせスター同士の子どもですからね。

 

知らない人からも

「沙也加ちゃん、大きくなったねー」

と声をかけられるのが普通だったそうです。

 

国民にとっても娘みたいな存在なのでしょう。

両親にとっても、知り合いの娘みたいな存在なのでしょう。

 

神田沙也加さんの画面いっぱいの顔アップを前になされた両親の会話、

これは

親が子をみたときの会話

なのかもしれません。

 

しかし、

僕は母からも、父からも

「なまものの目は私に似ているわ」

とか

「なまものの輪郭は俺そっくりだな」

とか

言われたことありません。

 

でも、神田沙也加さんには

そういうことを言っている。

かなり細かく。

 

もしかしたら、

僕のいないところで

そういう会話が繰り広げられているのかもしれません。

 

子にしてみれば、

両親にそんな会話あまりしてほしくありません。

どっちだっていい。

 

なんだか、母父どちらが僕により似ているか

争っているような感じがするからです。

 

「生まれた子は、お父さんとお母さんどちらに似ていますか」

っていう芸能レポーターの質問も、意味あるのかなと思う。

どっちだっていいし、似てなかったらどうなの?

似てなかったら負けなの?

 

そんなの聞くものでもないし、考えるものでもないと思う。

どちらに似ていたって、

似ていた方が、より「自分の子なのだ」と勝ち誇るべきではないし、

似ている部分が少ない親だって、なにも悲しむ必要はないし。

 

僕はそう思っている。子はそう思っているはず。

二人の子どもなんだから、似ている似ていないなんて考えないでほしい。

子どもとの似ている部分を必死で探す親は、

なんか子どもに対する所有意識が強い感じがして

いやだ。

そんなことに固執する親にはなりたくない。

 

 

でも僕が親になって子どもが生まれれば、

事態は変わるのかもしれない。

 

僕が守ってあげなければ死んでしまう我が子をみると、育てると

支配欲、所有欲

が高まってしまうのかもしれない。

「僕の子だ、僕の子だ、僕の子だ・・・」

と思い続け、そしてその根拠が欲しくて

僕に似ている部分を探すのかもしれない。

 

こわい。

娘が生まれたら、結婚を断じて許さないアホ親父になってしまうのだろうか。

こわい。

 

 

自分の子。

とても、親密で、濃い関係。

血を、意思を引き継ぐ関係。(例外はもちろんありますが。)

 

でも、あなたの子であっても

決して、あなたではないのです。

いくら顔がそっくりであっても所作が同じでも。決して。

 

子どもの中に、自分を見つけるのは

ほどほどにしてほしい。

 

子どもがいいことをした時も、悪いことをした時も、

「自分に似たからだ」

なんて思わないでほしい。

子どもと、親は、違う人間なのだから。

 

 

でも、そんなの無理ですよね。

似ちゃうのが、親子ですから。

「似ている似ていない」を考えないのは無理かもしれません。

 

ほどほどにってことですね。

 

 

というか、

僕に似ていなくても

僕に愛する人に似ているっていうわけだから

何も問題ないのか。

 

妻(になる人)を愛し続けていれば、

子がどちらに似ていても嬉しいってことか。

 

でも、そうはいかない場合もあるってことか。

 

良い相手にめぐり合えますように、、笑

 

 

ではまた。