被災地レポーターはヘルメット脱げば?
こんばんは
広島の豪雨被害が連日報じられています。
自衛隊、消防隊の方たちは昼夜問わず活動されているようですが
救助活動も天候のため難航しているようです。
一刻も早く見つかってほしいと心から願っております。
こんなときにも、変なところに目がいってしまうところが自分の嫌なところなのですが、どうしても気になってモヤモヤするので書きます。
被災地のレポーターのヘルメットっておかしくないですか?
東日本大震災のときにも少し気になったのですが
震災以降はとくに、ヘルメットが災害レポートにつきものになったような気がします。以前は台風レポートでヘルメットなんかかぶってなかったような気さえします。
今も宮根さんが現場入りしたときのレポートが流れていたのですが
宮根さんはしっかりとヘルメットをかぶって状況を伝えていました。
もちろん身を守るため、という目的はわかります。
2次災害も予断を許さない状況ですし、今回はとくに足元がぬかるんでいて転倒の危険性があるので、かぶっていても問題はないかと思います。
ただ、
(実際に救助活動に従事している方を除いて)
レポーターだけがかぶっているのが気になるのです。
被災者(住民)の方も、
同じく取材にあたっている新聞記者も、
レポーターを映しているカメラマンも同行スタッフも、
かぶっていないのです。
危険な状況は、そこにいる人なら誰でも同じだし
むしろ住人やカメラマンの方が必要としているはず。
だのにーなーぜー、TVレポーターだけがかぶっているのか。
どうも目的は安全のためではなくて、演出のためのようにみえてしまう。
「被災地」演出。
確かに、いつもは銀座とか渋谷の街頭に出て
「STAP細胞ってあると思いますかあ~?」と老若男女に聞いているレポーターたちが
こぞってレインコート着てヘルメットかぶっているだけで
「すごい緊迫して危険な現場にきているのだな」
という非日常感は伝わってくる。
ただ、
そもそもどれだけ現場が悲惨で深刻な状況か、なんていうのは
映像で一目瞭然だし、
それこそレポートの構成と、言葉と、表情とで伝えるべきことである。
だから、
レポーターが1人ヘルメットかぶって平然とレポートしている様子をみると、
レポーターの力量不足を自ら露呈している風に見えて仕方ない。
*
レポーターがヘルメットをかぶっていて一番残念だと思う場面は
被災者である住民の方にインタビューしているところ。
これ、僕がインタビューされる側だったら相当嫌な気持ちになるし、
インタビューする側だったら、絶対ヘルメットを脱ぎたくなる。
だって、この構図、どうみてもおかしい。
そもそも危険なところでインタビューは行わないから、安全性の面からいってもヘルメットは必要ない。
都会からひょいとやってきた人があえて重装備をみせつけて、大変な被災者の方が着の身着のままという、あえて格差を作り上げているこの感じ。おかしい。
インタビューって、聞き手が話し手に寄り添うものだと思うんです。
話し手の言うことを丁寧に丁寧に拾って、心を傾けること=傾聴
が聞き手の姿勢のあるべき姿です。
被災地の場合はとくに、
気持ちを丸ごと理解して同じ立場に立つ、なんて不可能だし
無理に同情してはならないけれど、
物理的にも、心理的にも、話し手との距離を詰めることはできるし、
それが聞き手に唯一できること。
だからわざわざ現場まで足をのばして、顔を合わせて話を聞くわけでしょ。
しかし、このヘルメットは、「聞き手の姿勢」とは全く逆の効果を果たしている。
聞き手が、自ら話し手との間に溝をつくるアイテムとなっている。
被災者がレポーターの目を見て話していても、目の上にあるその固い物体から
「私とあなたは違う。私とあなたは違う。私とあなたは違う。…」
と言われているように感じると思う。
いくら哀れみの表情で丁寧に話を聞いてくれても、目の上のヘルメットが
レポーターと話し手の間にとんでもない距離を生み出している。
こんなの寄り添ってない。突き放している。
*
だから、
レポーターとしての力量がいくらなかったとしても、
せめてインタビューをするときだけは、お願いだからヘルメットを脱いでほしい。
*
レポーターの人にすごい失礼なことを書いてしまったけれど、
僕はレポーターの方々はすごいと思っているし、内容にケチをつけるところはそれほどない。
それだけに、ヘルメットが浮いて見えてしまうのだ。
ヘルメットなんてかぶらなくても、ちゃんと私たちには伝わっている。はず。
ではまた。