中庸、何でもカモン
こんばんは。
今日は「中庸」ということについて。
ネット、主にSNSができて
自分の意見を、不特定多数の人が読んでくれる環境が用意され、
意識的にしろ、無意識的にしろ注目を集めたいがために
極論極論でのぶつかり稽古が続く今日このごろ。
そんななか、
ちょうどいいバランス=「中庸」が求められる、と考えている人も多い。
でも、中庸ってなんだろう。
ちゅうよう【中庸】
「立場に偏らない」って言葉では簡単だけれど、
そこに至るまでの方法が難しい。
極論に走らないために、
初めから真ん中を狙っていくのか、
それとも両極端の立場を理解することからはじめるのか、
よくわからない。
初めから真ん中を狙っていくとなると
無個性な気がするし
両極端を理解しようとすると
どちらかにどうしても偏ってすぐにバランスが崩れてしまいそう。
とくに専門家でもないのにいっぱしの意見を述べようとすると
余計にバランスが崩れ、一方の立場にゴロっと傾ききってしまう。
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中庸って、やっぱり難しい。
自分の立ち位置が中庸なのかな、偏ってないかな、
と考え込んでいるうちに、何も意見ができなくなってしまい傍観するだけになってしまう。
いまの僕だ。
高尚な人じゃないと、常に中庸は無理かも。
僕は、高尚な人じゃないけれど
中庸でいられる人には憧れがあるから
無理しない程度に「否定しない」ことを心掛けている。
どんな意見もカモン。
とりあえずYES。
自分の意見が中庸かどうかは判断できなくても
他人を全て受け入れていれば自分が中庸になった気分になれる。
典型的な「偽善」というやつかもしれないけれど、
なんでもカモンの姿勢は、イライラすることが少ない。
人にはどっちつかずだとイライラされるかもしれないけどね。
ただ、
何でもカモンしていても
結局グラグラしてしまう。
だから、結局聞くだけで、黙り込んでしまう僕なのであった。
ではまた