紙派?パソコン派? ―アイデアの生まれる場所―
こんばんは
今日はしょーもないアイデアを求めて考え事をしたのだけれど
その方法の変化に、僕はすこしだけ現代人になったなと思った。
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いままでは、もっぱら紙と鉛筆だった。
真っ白いドデカイ紙と
すこし丸く削った鉛筆を用意して
思いついたものをどんどんぐちゃぐちゃに書いていった。
考え事以外にも、
作文とかレポートなどの学校の課題も
このような方法をとっていた。
こうじゃなきゃ、なんだか本気が出せない気がしたからだ。
でも今回は、パソコンで思考の過程を管理するようにしてみた。
パソコンでチャレンジしてみようと思ったきっかけは、
紛れもなく、このブログがあったからである。
なにか文章を書くときに、
紙の下書きなしで、いきなりパソコンの画面で書くことを決めて仕上げたのは
ブログが初めてだった。
軽い気持ちでメモ程度にとブログを始めたから、僕にとって無謀ともいえる
「いきなりパソコン」をやってみようと思えたのだけれど
これが意外とできた。
パソコンで考えることが、僕にとって食わず嫌いなことだとわかったのだ。
紙で考えるか、パソコンで考えるか。
もちろんどちらもよさはあるのだけれど、
僕レベルの人間にとっちゃ、どっちもあまり変わらない。
どちらも、100%の力を使って頭を働かせることはできそうだ。
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ただ個人的には、120%の力を出せるのは、紙と鉛筆だなと思う。
まだ、紙と鉛筆に慣れているから、というのもあるけど
なんとなく鉛筆を握ると、頭のギュンギュン働く気がする。
ほんのちょっとだけ。
これって
リレーのバトンと同じ感覚かもしれない。
運動会・体育祭で、
バトンを持って走ると、なんだか早く走れているような気がした。
腕の振りを意識できるというか、風を切っている感覚というか、
そういうものがあって、いつも以上の力を感じて走れた記憶がある。
別に鉛筆を握ったからって風を切れるようになれるわけじゃないけど
脳の中に風が吹き込まれていくような、なにかアイデアが頭に降りてきそうな
そんな予感がする。
鉛筆には、バトンと同じにおいを感じるのだ。
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だから、
これからも、天の力を借りてでもアイデアを絞り出さなければならないときは
紙と鉛筆に頼ることにする。
でも、そうでもないとき、
たとえば、脱力したブログを書きたいときなんかは
パソコンで考えることは十分アリだ。
ではまた。