足のハリは、命のハリ。
こんばんは
なまもの散歩、秋の特別篇。
今日は3時間ほど散歩した。
時間がたっぷりある日だったから、
いつも電車で向かう場所を、徒歩で行ってみようと思ったのだ。
平日の昼間というのは、
行き交う人々がそれぞれ一生懸命。
地図を片手に電話越しでお辞儀をするサラリーマン、
遅刻しそうで猛ダッシュする大学生、
その大学生を真似して後を追いかける小学生軍団、
公園でスズメと戯れるおばあちゃん。
「今日はお休みです」って感じの人もいるにはいるけど
街全体が、ヒッヒッフーと息をしているのが伝わってくる。
その中を、ただただ歩く僕。
ろくに働いてもおらず、学生でもない浮ついた僕は、
この息づいた街をしっかりと地面を踏みしめて歩いていても
なんだか俯瞰して街を、人を捉えてしまう。
俯瞰っていうとかっこいいけど、
単純に言うと、浮いてるってことです。
社会において、さしたる役割を持たず、
ただ歩くことでしかこの時を一生懸命になれないんだから当然のことかもしれません。
同じ土壌に、同じ時を生きている心地がしなかった。
上っ面しか、今を認識させてもらえない。
社会のレールからはじき出され完全に底辺の脱落者なんだけど、
社会から浮いているってことで
全能の神のような上から視点でしか世界を認識せざるを得ないっていう
なんだかとっても矛盾したことが起きている。
歩きながら、そんな変なことをぐるぐる考える。
散歩をしていると、頭はとんでもなくアホらしく、ずば抜けた状態になるから
とっても考えるのが楽しい。
*
普段運動していないので、3時間歩くと足が弱音を吐きだして、
なんで散歩しようなんて思ったんだろうと後悔しながら帰宅した。
僕は今日、みんなのような一生懸命をしなかった。
得たのは、足の痛みだけ。
ただ、このふくらはぎの悲鳴が、
僕がこの世界にかろうじて生きているのだというのを教えてくれる。
僕にとって、
足のハリは、命のハリなのだ。
だから散歩はやめられない。
ではまた。