人が万歳をする理由。
こんばんは
あの青い屋根の家の前で無言のおはようを交わしたから、
今日はいつもどおりのいい朝だった。
*
衆議院が解散した。
なんでも、議長が読み上げている最中から万歳が起きてしまうという
フライング万歳があったそう。
どうでもいい。
解散のときの万歳って
ただの慣習らしい。
ひとまず職を解かれるわけだから
本当に喜んで万歳をする人は少数なわけで
むしろ万歳したいのは
国会外にいる夢見る立候補者たちだろう。
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そういえば、万歳って最近やってない。
最近?いやいや、今までやった記憶がない。
している人を生で見た記憶もない。
だから、いま部屋で一人やってみる。
ばんざーい。ばんざーい。
・・・一人でやるものじゃありませんでした。
ただ、やってみて
万歳を国会でやる理由が少しわかった気がします。
なぜなら、万歳をすると嫌でも清々しい気持ちになるから。
手を上げて、全身を伸ばすような格好になって
しかも発声しているので、全身の力がすうっと空に向かう感じがする。
結果、いい気持ちになった。
本当は嫌な気持ちがあるけれど
そうせざるを得ない状況にあるとき
ごまかしのいい気持ちをドーピングのように注入してくれるのが
万歳なのだと思います。
そう考えると、
息子が出征にいくとき
家族そろって万歳をしているのもうなずけるし
今日の議員たちもそう。
近くてとても遠い異国の人たちも、そうかもしれない。
思いっきりのいい万歳ほど、思いっきりの悪いどろどろした感情が
その人の中で渦巻いているように見える。
*
人生で万歳をやった記憶のない僕は
まだまだ甘っちょろいぬくぬくした生き方しかしてきていない
ということなのでしょうか。
わからないけど、
万歳なんてしたくない。
ではまた。