すこし汚れたクリスマスイブ
こんばんは
ラジオを聴いていたら
ジングルベルが流れてきた。
Nのためにを見ていたから
陽気な子ども達の声のジングルベルを聞くと
あの惨状が脳裏に浮かんでくる。
Nのために。
大好きなドラマだった。
とくに、主題歌含め音楽がとってもよくて
事件現場のジングルベルが強烈なインパクトを持っていた。
子どもの歌声は
純真で、濁り淀み穢れがなくて、
心が洗われるようだけど
キレイすぎて、その裏になにか蠢くものがあるような気を起こさせる。
純真すぎて、気味が悪いのだ。
だから、ドラマ内の事件現場と、天真爛漫なジングルベルが
うまく調和していたのだろうと思う。
*
すこし汚れているくらいのほうがいいのだ。
きれいすぎる、とは悪い意味もあるのだ。
今日僕は、美しさの欠片もないクリスマスイブを過ごしているけど
きれいすぎるクリスマスを夢見ている(人々が送っている)
と考えるから、余計に気が沈むのだろう。
純真できれいすぎるクリスマスなんて、気味が悪い・・・はずだ。
来年は、すこし汚れたクリスマスイブを迎えられるように
これから1年、がんばろう。
また、決意を新たにしてしまった。
ではまた。