いまを生きる「責任」 ―『戦場のピアニスト』―
こんばんは
録画していた映画「戦場のピアニスト」を見た。
僕がこの映画をみるのは初めてだ。
第二次世界大戦のこと、ユダヤ人迫害のことは教科書レベルでは知っている。
けれど、「生きた語り」に触れることはなかった。
戦後70年経過した今、その語りに触れる機会は消えかかっている。
そんな僕にとって、実話を基にした映像化作品は衝撃的だった。
流れ作業のように人が殺されていく光景に
前のめりになりながら瞼をつむってしまう自分がいた。
目を背けてはいけないという自分と、歴史を受け入れたくない自分。
主人公は戦時下でたくましく生き抜いていく。
命を神とか運命とかに託すしかないなかで、
主人公の一貫した冷たく燃えるまなざしが心を揺さぶった。
ドイツ将校とのクライマックスシーンは、とくにグッときた。
さらに音楽で、これほどまでメッセージを強く訴えかけてくる映画はそうそうない。
弾いていた「バラード第1番」は何度も聴いたことのある曲だけど
まったく違った曲に聴こえてきた。
旋律の美しさは、戦争の悲惨さを、無情さを、僕の心に何度も何度も叩くように響いてきた。
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歴史の教科書を読めば、こんなこと繰り返しちゃだめだよねくらい分かるけど
もちろん、この映画を見た後もその思いは変わらないけど、
たんなる知識と感想ではなくて
この時代に地球に生まれてきた者が負う「責任」のように感じることができた。
そしてショパンを人より聴く機会が多かったはずなのに、いままでこの映画を見ていなかった自分を悔いた。いまは、ラックからCDを引っ張り出して聞きながらブログを書いているが、しばらくはショパン三昧の日々が続きそうだ。
負の連鎖は形や場所を変え、いまも残っている。
人種差別も、この世から消えていない。
僕には何ができるだろうか。わからない。
ただ、戦後70年の節目に
過去を振り返るだけでなくて
そこから70年経った「いま」を考える観点を持ち続けたいと思う。
これは、2015年に生きている者だけができる「責任」のひとつだと、僕は思うから。
ではまた。