職責とは。 -イルカちゃん打ち上げられる―
こんばんは
幼いころから大のイルカ好きで
将来の夢はイルカ調教師で「なるにはブックス」を買ったほどでしたので
テレビに映し出される無残な光景を、悲鳴をあげながら見ていました。
イルカの外見で「あ、ゴンドウだな」と種の検討がつくくらい、
それくらい好きなのです。
イルカ(クジラ)の打ち上げはよくあることなのですが
毎回毎回見るたびに辛い。
サーファーの人だったり水族館の人がえっさえっさと頑張って海に戻しても
もう方向感覚がくるっているために
また浜辺に戻ってきてしまうのをみるのは、もっとつらい。
一番つらいのは、イルカなのだけど。
*
イルカが軒並み浜辺で倒れて胸ビレをパタパタ苦しそうにしているのを横目に
インタビューしている記者・カメラマンは、本当に大変だと思う。
そんな「いいコンテンツ」づくりよりも、何か力になることしようよ!
バケツで海水かけてあげるとかさ!とか思ってしまったんだけど
彼らの仕事は「伝える」ことだもんね。
しょうがないよね。
彼らがいなければ、僕はこのニュースを見ることすらできなかったんだもんね。
しょうがないよね。
取材を放棄して、イルカの救助をしてイルカが助かったとしても、マスコミ人としては失格だもんね。
しょうがないよね。
たぶん、こういう状況はマスコミに限らず「職責」を持つ社会人なら
(規模の大小はあるにしろ)起こりうることなのかもしれない。
「仕事だから」とバッサリ切り捨てなければいけないことがあるのかもしれない。
僕にはそれができるのかわからない。
「職責」とやらに染まって、周りがまるで見えない大人になってしまうのがこわい。
でも、でももし、
今日僕がイルカの取材にいっていた立場だとしたら
取材が終わった後時間が許す限り
救助の手伝いを進んでやる人でありたい。
そういう人間になりたい。
ではまた。