「休みの日は、休んでます」 by堺雅人
こんばんは
堺雅人がおしゃれイズムで
「休みの日は何をしていますか?」という質問に
「休んでます」
と答えていた。
即座の切り返しに、僕は拍手を送りたくなった。
僕もできることならそう言いたい。
でも、なんだかインドア=罪、アウトドア=善みたいな感じありますよね。
だからビビッて、あんな潔く言えない。
実際「基本ラジオ聞きながらベットで横になってます」って言われたら、
うわって思いませんか。
そういう過ごし方している僕自身でさえ、うわって思います。うわって。
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休むという字は~(金八風)
おそらく人が木に寄りかかっている状態を表したものでしょう。
歩き疲れたとき、あるいは日差しが強かったり雨が降ってきたとき
木の下で、幹に寄りかかりながら一息つく状態、それが「休」。
「休」を行う日が休日ならば、
なぜ外に出て汗を流さなければいけないのか、
インドア派の僕にはよくわからないのですが、
アウトドア派の友人に聞いてみると、
彼らは外に出て思いっきりはしゃぐことこそが「休」だと言い張ります。
家にいても何も「休」まらないでしょと一蹴されました。
なぜ、汗を流して、多少筋肉痛になったとしても「休」だと感じるのか。
インドア派もアウトドア派も、月曜がくるのを忌み嫌うことで共通しているのを踏まえると、
「休」とは、心が「休」ってことなんだろう。
「休」の漢字の成り立ちから説明すると
身体を休めることに定義を限定されてしまうけれど、
アウトドア派の「休」も考慮するならば、
「休」とは、心を幹に預ける状態のこと。
心が「休」の状態になるために、
ある人は布団の中で夢をみたり
ある人は胃をたらふく動かしたり
ある人は波に体を預けたり
ある人は何十キロも走って血を巡らせる。
いろいろな「休」む手段があって、構わない。
そろそろカーテンでも開けるかと思ったら、もう日が暮れかけてた、なんていう過ごし方だって、構わない。
心が「休」めているのなら。
あの堺雅人が力強く言ってるんだ。
だから僕もこれからは自信たっぷりに言ってやろう。
「休みの日は、休んでます」ってね。
ではまた。