「歩く〇〇」な人に憧れる。
こんばんは
偉大な文化人類学者が亡くなったらしい。
僕はその人の事を存じ上げなかったのだが
何でも足を運んで研究を重ねていたことから
「歩く文化人類学者」と言われていたみたい。
実際歩いていなくても、
象徴的な意味で使われる
「歩く〇〇」って言われるような人生って、カッコいい。
それが、どんなものであれ
突き抜けたものがある人は、なんかしらの魅力がある。
なんでも中途半端の僕は、そういう人生にあこがれる。
今の時代、機能的で便利と思いつくものを試しに入れてみた。
「歩くインターネット」
「歩くiPhone」
「歩くAmazon」
「歩くLINE」
「歩くYouTube」
う~ん、なんだか微妙。
「歩くiPhone」は博識そうな気がするけど
「歩くAmazon」とか、パシリにしか思えないし
「歩くLINE」は悪口として使用できてしまいそう。
「歩くYouTube」は、ユーチューバーってやつでしょうか。
そんな僕も、
突き抜けた中途半端さであるなら
「歩く中途半端」ともいえるのか。
やっぱり、なんだかカッコ悪いな。
第一、そんなに歩かないし。
「歩かない中途半端」
うわ、絶望的。
とりあえず、人間らしく普段から歩くことからはじめたいとおもいます。
ではまた。