人生のオウンゴール
こんばんは
なでしこ、劇的な試合だった。
最後のゴールは、呆然としてしまったし
あの選手のことを思うと胸が苦しくなる。
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これまでの人生、なんどオウンゴールをしただろうか。
オウンゴールといっても、
スポーツマンシップに則った勝負したうえでのやむを得ないゴールと
裏切って意図的に自陣へ攻めこんだ結果のゴールがある。
僕は自分から負けの境界を踏むときは
意図的なことの方が多い。
たぶん、大学卒業して無職を選択したことも
オウンゴールの1つかもしれない。
でも、それは自分を裏切っているわけではない。
むしろ、挑戦とかプレッシャーを欲していて、
純粋な気持ちで思いっきり足を振りぬく。
晴れやかな笑顔で。未来を期待して。
だから、今日の試合の彼女のように
僕の人生のオウンゴールには悔いがない。
地面に倒れ込むことはあっても、うつ伏せではく仰向けだ。
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でも今日の試合後のイングランドの選手たちをみて
本当は自分の人生のオウンゴールにも悔しさはあるのかもしれないと思った。
ああやって悲しみ泣き叫びたいけど
それだと落ち込むのは全て自分自身だから
あえて隠すように笑顔でいるのかもしれない、と。
進んで負けを選択する自分は、やっぱり異常かもしれない。
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人生のオウンゴールを喜べるか。
それは、ゲーム終了のホイッスルをどの時点に設定しているのかにもよるのかもしれない。
僕は一応80歳くらいまで生きる予定だから
サッカーでいうと、前半25分といったところだろうか。
(そう考えると、僕は人生を結構プレイしてるんだな。)
だから、オウンゴールも怖くない。
自分の気を引き締めるために、進んで自陣のネットを揺らすことも厭わない。
これが人生の後半ロスタイムになると、
さすがにオウンゴールは避けたくなる。当然だ。
僕が人生のオウンゴールを決めて笑顔でいられるのも
まだ若い証拠なのかもしれない。
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いろいろ考えてきたけど
素朴な疑問が僕の頭から離れない。
僕は人生という試合の中でだれと戦ってるんだ???
世の中?運命?自分自身?
もし自己との戦いが人生という試合なのだとしたら
ぼくはどっちみちオウンゴールしか決められないみたいだ。
ではまた。