七夕の短冊って、叶っても「お礼参り」的なものはないの?
こんばんは
今日は七夕。
そういえば今年は短冊が飾られた笹を一度も見ていない。
そういえば「七夕まつり」なるものには一度も行ったことがない。
僕はただ漫然と七月七日を過ごしている。
ところで短冊に書いた願いは、どれほど叶うのでしょうか。
僕はお願い事をするとすれば、家族の健康です。
就職が決まるようにお願いしたいところですが、
そんなの自分でどうにかする問題だなと思うから、
自然と他者に向けた願いになる。
ところで、
神社でお願い事をして成就したとき人はお礼参りをするけれど、
七夕の短冊はどうなんだろう。
「お礼短冊」とか聞いたことないんだけど
まさか願いがかなってもお礼をしないのか?
礼節を大切にする民族が、そんな非常識なことしませんよね??
一応神様に向けて願いごとをするんだろうから、お礼するとしたら神社なのかな。
でもせっかく七夕っていう一大イベントでの願いなのだから
七夕ならではの成就のお礼の仕方を作ってもいい気がする。
それこそ、お礼短冊があってもいい。
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七夕での短冊同様、願い事をするもののお礼の慣習が思い浮かばないものに
流れ星への願い事がある。
流れ星が流れている最中に願い事をするといい、と言われているけど
それが叶ったらどうしろ、というのを僕は知らない。
これも、神社にお礼にいくのでしょうか。
せっかく星に願いをこめたのに、叶ったら神社にお礼に行くって違和感ある。
願いが成就したら、やはり星にお礼をするのがよさそう。
短冊も、流れ星も、
「願い事をする」ことだけに焦点が当てられたイベントになっているのは
もしかしたら、願ってもそうそう叶わないってことなのかもしれない。
それならお礼の慣習をつくる必要性も低くなる。
人々が気軽に短冊に書いて願うし、その分成就しにくい。
これが七夕の全容なのかも。
そうだとしたら、漫然と過ごしていてもとりあえず問題なさそうです。
ではまた。