鳥人間コンテストが体力勝負になっていることに疑問
こんばんは
今日は鳥人間コンテストを見ていた。
機体を押している人が、倒れ込みながら空へと放ち
期待を背負った機体がスーッと空中を進んでいく光景は
いつみても気持ちがいい。
水面につくか、つかないかの瀬戸際で
操縦者が奮闘する様子も、心動かされる。
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上位常連のチームは予想通りの結果をたいてい出していて、
ダークホースがいきなりトップに躍り出るという「番狂わせ」がなかなかない。
これはおそらく、機体の設計や完成度がモノをいう競技であるからだろう。
しかし
どれだけ飛行できるかというディスタンス部門では
ある程度の技術があることは前提として
操縦者の体力が左右している面がある。
たしかに、体力の限界まで叫びながらもがく姿は
コンテンツとして魅力的だし、
実際僕も見ていて感動した。応援したくなる。
けれど、
「この日のために、体力トレーニングを積んで太ももが〇センチになりました!!」
っていう紹介を見せられると、
あれ?なんかテーマがずれているような・・
と思ってしまった。
なんだか、サスケを見ている気になってしまったのだ。
機体の設計・完成度・そして操縦者の操縦能力。
この3つが揃ったものが勝つべきものであるが、
最後の最後で「体力」という関門があることが、よくわからない。
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そして、体力に結果が左右されるとなると
操縦者だけに責任が向いてしまう。
期待を背負うことは、責任を背負うことにもなってしまう。
折り返すことができたチームは、
きっと体力さえあれば、40km到達できた。
それだけ、機体の完成度と操縦技術が優れていたと思う。
自然条件のせいにもできるけれど
ここまで操縦者に命運を結果的に背負わせるのは良くない。
「よく頑張った」とチームのみんなは言うんだろうけど
操縦者は絶対に「俺にもっと体力があれば」と思ってしまう。
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1時間以上もこぎ続ける過酷さは本当に鳥人間に必要なのだろうか。
「だれかが頑張って辛い表情をする」=「みんな感動する」=「視聴率とれる」
という嫌な考えのもとに成り立っているものだったら、いやだ。
(24時間テレビもそうだったら、いやだ。)
こうした批判に対処するためにさまざまな部門を設けているのだろうけど
酸素マスクをつけられながら琵琶湖を漂う疲弊した操縦者をみたとたん、
僕の感動はどこかにいってしまった。
じゃあ番組みるなよって話ですよね、わかります。
ではまた。