少年が静かに暴れ始めたいま、「母」は何を思う?
こんばんは
週刊誌を読んだ。
写真だけかと思ったら
かなり詳細に、多角的に調べ上げていて
事件発生時の記憶がほとんどない僕には
とてもためになった。
天災でもないと、確実に世の中の悪事は忘れ去られていくから
風化を防ぐためにも、このような情報を世の中に出す意義はあると思う。
必要性があるかどうかは、別の問題として。
そもそもの発端は
じっとしていればよかったのに、わざわざ俺を見ろ!アピールをしたことだ。
犠牲者のことなど、なにも考えずに
「少年」という肩書きを使って。
これはどこからどうみても、「常識」から外れた行為だ。
週刊誌よりも、ぼくは手記を出版した方の「常識」を疑う。
なにか、彼以外の力が働いているのか
更生のためにも、この事態には他者の陰謀が働いていると願いたい。
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学校からは一人で帰ってはいけません。
知らない人が話しかけても、ついていってはいけません。
当時の記憶を振り返ってみても、
こんなことを先生が繰り返しいっていたようないなかったような
それくらい淡く薄くしか残っていない。
記事の中には知らないことばかりだったけれど
世話人のような存在がいたことを知れたのが一番の発見だ。
その女性は、少年の母のような存在として
責任、重圧をきちんと背負わせるために
ずっとそばにいて見守る存在。
僕はこの女性に対して関心を抱いた。
この仕事に就いた経緯も書かれていたけれど
僕は、とてもそんな理由じゃ、こんな重い仕事できない。
ほかに何か惹きつけられた理由があるのかもしれない。
そしていま、彼女は何を思うのだろう。
少年が静かに暴れだしたいま、
「世話人」としての仕事とどう向き合っているのだろう。
とても気になる。
ではまた。