自由には、自律がともなう。
こんばんは
例の橋下市長の討論会?の動画を見た。
それまでは文面からの情報から
「こんな感じなのだろうなー」
と想像していたのだが、
それ以上だった。
激しい言葉の槍が飛び交っていて
もし言葉の槍が目に見えていたら
部屋じゅう穴だらけになっていたし
あの場にいた人全員が負傷してしまったかもしれない。
一方で、
退職した校長が
卒業生に宗教関連の書籍などを送り付け
布教活動ともとれる行為をしたというニュースを見た。
もし、僕にそのようなことがあったら
絶対に写真とってツイートするようなマネはしないけれど
その先生に「裏切られた」と思うだろう。
悲しくなるだろう。
この先生は
これまでに指導した何千、何万の元生徒の信頼を
一瞬にして失ったかもしれない。
どちらのニュースも、「表現の自由」が関係してくるというけれど
「自由」という言葉は、とてもこわい。
タダより高いものはない、と同じように
自由より制限されているものはない、と思う。
*
「ご自由にどうぞ。」
このような街中のありふれた「自由」にさえ
頭をきちんと働かせて、向き合わなければいけない。
自由という言葉に弱い、僕みたいな人間ならなおさら。
*
自由には、自律がともなう。
これは僕の卒業した高校の校訓だった。
自由について考えた3年間は
いまの僕の「自由」観の基盤となっていると、
こうしたニュースを聞くたびに思う。
やっぱり、学生時代は、人生の基盤になるんだよな。
どんな学生時代であれ。
だから、
校長先生さんよ、
大事な教え子に
そんなことしちゃ、やっぱだめだよ。
ではまた。