平等になれない世界だから。
こんばんは
今日こんなツイートを見た。
なんか最近「平等という建前で弱者も強者も老若男女構わず全員平等にぶん殴ってたら弱い奴から倒れるだろ」(大意)という意見を読んで、三原順「はみだしっ子」の「橋の下の例え話」を思い出した。こういうことなんだよな(白泉社文庫版5巻261頁) pic.twitter.com/pf4fv0OEvG
— 岸本元 (@bowwowolf) 2015, 1月 27
「平等」という言葉面にたよるばかりだと、不平等な結果に終わることはいくらでもある。文庫読んでみたくなった。
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スクワット10回で地下鉄無料乗車、メキシコ市が肥満対策 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
こんなニュースも今日みた。
成人肥満率70%ということにびっくりしたが、
なんでも、スクワットをすれば電車運賃が一定額無料になるという。
これも一応「平等」だけど、痩せている人から不満の声があがることはないはず。
ただ、電車運営する側の負担は増えてしまう。
「みんな平等」という言葉を使うときは、強者基準の平等になってはいけない。
ただ、平等にしようと言えるのも、平等にできる実行力を持っているのもだいたい強者だから難しい。
弱者代表として平等を求めている人でさえ、力を持つにつれ強者寄りの基準を獲得してしまう場合があるから、これまた難しい。
平等ってほんとうに難しい。
ではまた。