場末の歌声を毎夜聞く燕一家
こんばんは
今年もいつもと同じ場所に燕が巣をつくっている。
毎年のことだから、巣を支える板が取り付けられているし
糞で汚れないように巣の下には不要な新聞紙が敷かれている。
まだヒナは生まれていないようだ。
今日夜にその場所を通ったとき、つがいが巣を囲むように羽を休めていたのは
なんともほほえましかった。
同時になぜこの場所なのだろう、とも思った。
この巣がある場所、場末感満載のスナックの扉の上なのだ。
毎夜毎夜、ママや常連客のしゃがれた歌声が響いている場所なのだ。
燕は、人のいる場所に巣をつくるというが、
なぜ夜に耳障りな音を出し続ける場所の真上を選んだのだろう。
さらに、昼間その場所は閑散としている。
天敵の急襲は夜だけに限ったことではないはずなのだが。。。
不思議でしょうがない。
*
もしかして、燕にとっては
あのしゃがれた歌謡曲が心地よいのだろうか。
燕にとっては、ひばりやらきよしやらの旋律が
子守唄のようなのだろうか。
僕には理解できない。
僕だったら、交番とか消防署の敷地につくるんだけどなあ。
なぜ場末のスナックなのか。
スナックのママが、燕にとっては心強い存在なのかもしれぬが
最終的に燕にインタビューするしか答えは見いだせそうにない。
燕にとって、いい物件とは何なのだろう。
ヒトの僕は、ツバメの気持ちがわからない。
ただ、同じヒトの事さえ理解できないのだから
燕のことなんて理解できないのも当たり前か。
ではまた。