大きな声で歌えば辛いことも忘れてしまうさ ―キャサリンになりたい―
こんばんは
大きな声で歌えば辛いことも忘れてしまうさ
byキャサリン(『マッサン』)
そういって出迎えてくれる仲間がいることは
この上ない幸せだろう。
マッサンの表情は強張ったままだったけれど
あの歌声を聴くだけで、どんなに癒されたことだろうか。
辛いとき、歌の力はこんなにも人の心に寄り添ってくれる。
ほんとうに、かけがえのないご近所さんだ。
*
今日朝出かけるときに
近所のおじいさんに久しぶりにすれ違った。
具体的にどこに住んでいるのかも、名前もわからないのだけど
昨年夏くらいまでは一人で散歩していて、それでよくすれ違ったので顔を覚えていたのだ。
ただ、寒くなりはじめたころから姿を見かけなくなっていて、すこし心配していた。
しばらくぶりのおじいさんは、車いすにのっていた。
顔は元気そうだったけど、奥さんらしき人に押してもらっていた。
けがなのか、病気なのか、わからないけど
そういうことだったのか、元気でよかったと思った。
でも僕は、何にも声をかけてやれない。
お元気そうでよかった、と一声でもかけられたらいいのだけど
僕にはそのちっぽけな勇気はなかった。
電車に乗りながら、悔しい気持ちが湧き上がってきた。
これが、現在の近所づきあい(近所の範囲が広いかもしれないけど・・)というものなのか。同じ地域に住んでいても、同じ視界を共有している気がしない。
いまいるはずのこの地域に踏み込む一歩が、重い。
*
「あのころはよかった」
この言葉は古い者が優越感を持ちたいがために無理やり過去を美化したいときに使うものだと思っていますが
近所づきあいに関しては、まさしくキャサリンたちのような距離感がベストなのだろう。
僕の住んでいる、ほぼ超高齢化地域なら、なおさら。
ではまた。