自動運転車は、父の見せ場を奪う。
こんばんは
渋滞情報をラジオで聞き、
みなさん出かけてますなーと思いながら
家でゴロゴロしていた本日。
そのラジオに寄せられたメッセージで
「ただいま渋滞に巻き込まれていますが、前の車が、車を何台も割り込みさせていてイライラします」
というものが読み上げられていた。
やさしさ、が誰にとってもやさしさであるわけではないよなあ。
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運転には運転手それぞれ個性がある。
割り込もう、すこしでも空いているところに突っ込めーという人もいれば
まあまあゆっくりいきましょう、あ、入るなら入れてあげよう
という人もいる。
いろんな人がいるから
いろんな判断があるから
事故を防いだり、
事故が起きたりする。
しかし、この個性もいずれ死んでしまうのかもしれない。
自動運転の時代になれば
人の判断が必要とされないから、運転手の個性など出しようがない。
家族が眠る中、おとうさんががんばって渋滞を切り抜けている
なんて父の大黒柱感を出す場面は消え、
おとうさんは家と同じように車の中でもゴロゴロしている
なんてことになるかも。
ぼくにとって、父が運転している姿はかっこよくて
父の頼もしさを表現する晴れ舞台のような気がしているから
全自動運転車の時代に僕が父親になったら、
父としての見せ場がひとつなくなってしまう。
それよりもまえに、
彼女とドライブ行った時も
運転している姿でかっこよさをアピールできるのに
両手フリーの状態で菓子ぼりぼり食ってたら
なんだか、これも見せ場のひとつを失ってしまう。
自動運転普及するんですかね。
ね、矢沢さん。
ではまた。